3. 組織適合性(HLAのマッチング)について
◆ここで、HLA のマッチングに関する日本とフィリピンの考え方の違いを述べてみたいと思います。
そもそも HLA とは、Human Leukocyte Antigen (ヒト白血球抗原)の頭文字を並べたもので、赤血球に ABO 型があること同様、白血球にも A, B, C, DR, DQ の型があり、各人それぞれの抗原(座)について1種類または2種類を持ち、その組み合わせは数万通りにも及びます。
(A座だけでも現在確認されているだけで25種類以上、B座については50種類以上の「型」が確認されていますが、さらに詳しくお知りになりたい方は、HLA を含むキーワードで検索されると多くの情報が得られるでしょう)
臓器移植で避けて通れない問題に、拒絶反応というものがありますが、これは生物が生まれながらに有する「免疫反応」により引き起こされることは皆さんご存知のことと思います。つまり平たく述べれば、白血球の中の細胞が『敵味方識別機能』を持っていて、移植された他人の臓器を『異物』と判断する結果、移植者の体内に同化せず拒絶を起こすものです。
では、拒絶反応を抑えるにはどうしたら良いかというと、『敵味方識別機能』である免疫能力を意図的に弱めれば良いことになりますが、弱め過ぎると本当の敵、すなわち空気中などにあるウイルスやカビ等も『敵』とは判断しなくなり、結果として日和見感染症に陥ってしまい、極めて危険な状態になってしまいます。
生き物が本来持っている免疫能力を若干程度弱め、かつ感染症にかからないようにするには、免疫抑制剤の投与量を慎重に決定しなくてはならず、この「多過ぎず・少な過ぎない」というサジ加減の調整は、臓器移植に精通した医師の経験がモノを言う局面であることに異論は待ちません。
ところで日本では近年、赤血球 A,B,O 型だけでなく、白血球 HLA をも無視した移植手術が行われていると聞き及んでいますが、これは新世代の免疫抑制剤の登場によるところが大きいからでしょう。
しかし HLA を無視した臓器移植の場合、免疫抑制剤も大量に使用しなければ拒絶反応に悩まされます。HLA すべての型を完全に一致させれば拒絶反応は起こらないとされていますが、(一卵性双生児間の移植など)ドナー不足の我が国の場合は、あまり厳密に HLA の一致を追求することは現実的な方策ではないため、前述のとおり場合によっては免疫抑制剤を大量に使用して、マッチングを完全に無視した移植も行われているようです。ところが免疫抑制剤だけに頼った移植手術には、感染症に陥る危険性が大きいということだけではなく、気をつけなければいけない点として大きくは次の事柄が挙げられます。
一つは、免疫抑制剤には、それ自体に腎毒性があるということ。つまり移植された腎臓を守るがために服用する薬が、逆に臓器にダメージを与えるという双刃の剣が存在するという現実です。
次の問題としては、免疫抑制剤だけに頼った移植を行うということは、すなわち HLA のマッチングの程度が低いか、または無視されている証拠であり、この場合の生着率(移植された腎臓が正常に機能している年月)は、HLA を高い次元でマッチングさせた場合と比べて明らかに短いということです。
免疫抑制剤が長足の進歩を遂げ、古い世代のそれに比べると確かに移植臓器の生着率は高まりましたが、それでも HLA が適合すればするほど、高い次元でマッチングを図れば図るほど、移植された臓器が長持ちすることは現在でも世界中の全ての移植医が認めている事実です。
話が長くなりましたが、少なくとも私共と協力関係にある医師団においては HLA を無視した乱暴な移植をすることは決してありませんし、赤血球の異種移植も行いません。
我が国と違い、病院でクリニックを持っている「個人事業主」である現地医師団にしてみれば、高度なマッチングなど求めず、流れ作業的に移植手術を数多くこなした方が効率的かつ経済的な医療行為が行えるにもかかわらず、HLA の型によっては手術の実現までに数年間も要した患者様が現実に存在したという事実は、安易なマッチングで移植手術を行った場合に予想される事態を憂慮しているからに他ならず、良心と信念、そして移植医としての極めて高いプライドを持って誠意ある治療にあたっておられることの証明とも言えます。
また、HLA の適合性が高ければ高いほど免疫抑制剤の服用量が少なくて済むことは、特にフィリピン人患者さんにとっては経済原理からも重要な意味を持ちます。
日本の患者さんは海外で移植医療を受けて帰国した後も、免疫抑制剤を個人負担金なしで入手できますが、フィリピンには公的扶助制度がないため、薬代も全額自己負担しなければなりません。
日本円で一瓶約5万円ほどする免疫抑制剤を、一月で消費してしまうか、二月もたせるかはフィリピン人患者さんにとっては非常に大きな関心事であり、医療経済の面からも HLA の適合性を高めなくてはなりません。
このような社会背景において移植医療に携わっておられる現地医師団が行う移植手術においては、ドナーと患者様との HLA の適合が高い次元で確保されるため、腎毒性があり、かつ感染症に陥る危険性のある免疫抑制剤の服用量も少量で済み、したがって移植された腎臓は長期にわたって良好な機能を発揮し続けてくれるのです。
◆しかしながら過去において「フィリピンでは望めば誰でも生体移植が受けられる」と吹聴する多くの悪質ブローカーが費用を破格に吊り上げ暗躍しましたが、移植コーディネーターとして20年も前から海外での臓器移植に携わっている立場から言わせてもらえば、はっきり言って実際はそんな簡単なものではありません。腎臓移植に関しては、HLAのマッチングがだいたい日本人間で500分の1、日本人とフィリピン人の間で751分の1〜1000分の1、日本人と欧米人など他人種の間では5000分の1程度の確率であることを、まず念頭に入れておいてください。また、2001年秋よりフィリピンでも、血族関係のない生体腎臓移植について、フィリピン臓器移植倫理委員会がドナー(臓器の提供者)もレシピエント(臓器提供を受ける患者)も登録制となり、同委員会の承認を得なければならないこととなりました。同委員会と長年お付き合いがある関係で得た情報によりますと、現在の生体移植については、年間の外国人枠は15〜20名程度と考えられており、日本人患者は数名程度というのが実情です。さらに今までの経験から、私たちがお世話できる患者様の数は、年間に3人〜5人が限界であることも知っておいてもらいたいと思います。