8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜
冷蔵庫の番人 水分への欲求との戦い
3ヵ月後、母は退院しました。事情を知らないご近所の方からは、おめでとう と
挨拶されて、親戚からは快気祝いを戴きましたが、実際は体が我が家に帰って
来ただけで、月・水・金の週三回は、家の近くの透析専門病院に通う日々であり
ました。
その頃の母は、あんなに快活だった姿はどこかに消え、常に思いタメ息をついて、
透析から帰宅すると翌日の昼頃までは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごすことが
日課となっていました。
数ヶ月が過ぎ、透析療法開始後初めての夏を迎えましたが、この季節は水分の
摂取制限を厳しく強いられている透析患者にとって、最も辛い時期です。
「Kちゃん、夕べまたあの夢見ちゃった。キリキリに冷えた氷水が、大ーきいジョッキに
入っててね、グラスの外側は字が書ける程びっしりと汗かいてるの。
あれは相当冷えてたわね。
お母さんね、「もう死んでもいい」と思って、一気に飲もうとするんだけど、手が動か
ないのよ手が。ただ見るだけなのよぉ。せめて夢の中くらいは、あの冷た〜いのをゴック
ンゴックン喉を鳴らして飲んでみたいのに、今まで飲めたことなんか一度も無いんだから
嫌になっちゃう。どうせ飲めないんなら、夢なんか見せないでもらいたいわ、まったく!」
母はいつしか『冷蔵庫の番人』になっていました。と言っても、食品を入れる冷蔵室
に用はなく、母の興味は、もっぱら冷凍庫にあったため、正確には『冷凍庫の番人』
と言った方が良いかもしれません。他の患者さんと同様に、母の頭の中は、朝から晩
まで『水』の事でいっぱいです。
(お水が飲みたい、お水が飲みたい。頭が痛くなるほどキリキリに冷えたお水がー)
血中の毒素の関係から、健常人よりもはるかに多くの水分を欲求するのに、逆に摂取
制限を強いられるのですから、たまったものではありません。唾液さえも出て来ないため、
口の中は激しい運動をした後のように、常に干からんで水を要求するのですが、三度の
食事にも自然と水分が含まれているため、一日に口にすることが出来る純粋なる水分
は、極くわずかしかありません。しかしコップ一杯の水など、どうしても一気に飲んでしまう
ので、あっという間にその楽しみが終わってしまいます。
そこで、体積は少量でも、長時間口の中を湿らせてくれる『氷』を、日に何度か舐める
ことが透析患者にとって何よりの楽しみであり、また、ささやかな贅沢となるわけですが、
ダイヤモンドとも言える、その貴重な氷を盗み食いする者がいました。
私にとっては甥にあたる、兄の長男が犯人です。
幼稚園の帰り道、毎日のように我が家で遊んでから自分の家に帰るこの子に、
「この冷蔵庫の中の氷は、おばあちゃんのお薬だから勝手に食べてはダメよ」
と、常々言い聞かせてあったのですが、ひとかけらの氷を何分間もかけて美味そうに舐める
母の姿を日々見ている彼は、そんな注意もお構いなしに興味の赴くまま、家人の目を
盗んでは、時々ガリガリとやっていたのでした。
夏のある日、母が透析から帰って来て、いつものように一刻も早く干からびた喉を潤そう
と、必死の形相で冷蔵庫のドアを開けると、あれほど沢山の冷たいダイヤモンドを満載した
ストッカーが消えているではありませんか。我が目を疑うような出来事に唖然とした母が
次に目にした物は、テーブルの上にありました。
そこには、数時間前までは確かに氷であったものの、今では生ぬるいただの水を満たしたストッカーが、変わり果てた姿で無造作に置かれていたのです。
そうです。甥っ子は、氷を盗み食いした後、ストッカーを冷凍庫に戻すのを忘れていたの
です。
常人でさえ、冷たいものをガブ飲みしたくなるような炎天下、透析後の何とも言えない疲労
感を引きずりながら帰路を急いだ母の頭には、氷のことしかなかったはずです。
この日、普段は温厚なおばあちゃんの怒りが爆発し、孫を震え上がらせた事はもちろんです
が、その日から母は、冷蔵庫の番人となったのでした。
まず、氷を入れるストッカーをもう一つ買ってきました。そして日に何度も冷凍庫のドアを開
けては氷の在庫量を調べ、少しでも氷が入る余地を見つけると製氷皿から移し替えて、
また新たな氷を作るべく水を張っては、冷凍庫の中を常にふんだんな氷で満たしておく・・・。
最初は『自衛手段』であった行動が、いつしか趣味に変わり、遂には悲壮な使命感を伴って
母を冷凍庫の番人に駆り立てるまでになっていたのでした。
この一件依頼我が家には、《何人も、母の許可なくして氷を出すべからず》 という不文律
が出来上がり、3年間もの間それは頑固に守られ続けて来ました。
また、この間に私は素晴らしい人生の伴侶に巡り合い、結婚することとなりましたが、その夫
は、私が嫁に出ることは許されない我が家の事情に大きな理解を示してくれて、現在も
私の父母との同居生活を続けてくれています。
さて、夫も含めた家族全員の理解と協力の下、守られ続けてきたこの不文律ですが、その
条文を降ろす事となったきっかけに触れる日が、遂にやって来たのでした。