8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜
マニラというところ
11月19日早朝、協会の T さんと大手町で待ち合わせをした母と私は、協会の車
で成田空港に向かいました。何とかかんとか第一関門の組織適合検査にこぎつけた成
果を祝うかのような、とても空気の澄んだ晩秋の一日だったことを思い出します。
空港ロビーでは、たまたま私たちと一緒に組織適合検査に出発することになった、Hさん
とも落ち合い、搭乗時刻を待ちました。
このHさんは私たちと一日違いで協会を訪れたそうで、まだ透析に入って数ヶ月だという
のに、顔色などはむしろ母より悪くて、車椅子でも必要なほどに歩行が困難な様子でした
が、表情は明るく、透析に入るまでは世界各地を歩いたと言うだけあって、こんな時でも
冗談が次々と出て来ます。
本来であれば初の海外旅行は、国際空港だけが持つ独特の雰囲気に酔い、ガイドブッ
クの写真を思い浮かべては、これから訪れる見知らぬ国への期待で心が弾むのでしょうが、
初めての海外旅行を、このような運命的とも言える目的で迎える母の胸中は、いかばか
りであったでしょう。
搭乗待ちの間、Hさんが一時行方不明になるハプニングもありましたが、ビジネスクラスに
私たち4人を乗せた日本航空741便は、力強いジェットエンジンの音とともに、定刻の午前
10時に成田空港を後にすると順調に飛行し、わずか4時間後には徐々に高度を降ろして
マニラ国際空港に着陸。
地上気温は32度とのこと。晩秋の日本から、わずか4時間のフライトとは思えないほどの
気温差です。
飛行機を一歩出ると、南国独特の香りに包まれましたが、飛行機の出口には協会側から
の要請で、Hさんのために車椅子が用意されていました。
空港は到着便のピークを迎える時間なのでしょうか、気が遠くなるほど延々と続く入国審査
待ちの長い列を尻目に、何故か私たちだけは特別なレーンの通行を許され、待ち時間ゼロで
入国審査を終了してしまったのです。
まるでVIP待遇の計らいの理由を協会のTさんに尋ねると、「病人を長時間待たせないよう
に、協会サイドでマニラの顧問弁護士に頼んで、入国管理当局に特別な扱いを依頼した」
とのことでしたが、それでなくても暑い、なんともムシ暑い空港内で、私たち母娘はともかくも、
車椅子姿のHさんは、本当に助かったようです。
協会側の、病人を気遣う細やかな配慮に感謝したのも束の間、翌日からの入院に備えて
到着当日の今夜の宿となるホテルへ向かう車の中から私が目にした光景は、言葉を失う程
に驚かされるものばかりでした。
信号待ちの度に、タバコや新聞を売りに車に群がって来る子供たち
乗りきれずに、窓枠にしがみついてぶらさがっているバスの乗客
そこいら中で、けたたましく鳴り響くクラクションの音
ボロボロの衣装を羽織って座り込んでいる正体不明の大勢の人々・・・。
日本を出発前に、文明や文化の違いについては協会から何度も聞かされては
いましたが、我が国では決して見ることのない、余りにショッキングな光景を目の前にして
内心では、「とんでもない所へ来てしまった」と、つくづく後悔したものです。
大手商社支店長の若王子さん誘拐事件や、頻発して発生した保険金殺人、また、
ピストルや麻薬の密輸事件の多くが、ここマニラが舞台となっていたことも理解できそうな
雰囲気です。
そんな私の驚きと戸惑いを察したのか、Tさんは、
「これがこの国の現実です。すぐに慣れますよ」
と、事もなげに言う。
「ちょうど日本の終戦直後みたいね。子供の頃を思い出すと、東京もこんなふうだった
わよ。ああやって物を売りに来てねぇ」
以外にも冷静な母の反応を受けて、Hさんも、
「台湾よりはきれいだなぁ」
と言う。
戦後の状態など知らず、外国といえば数年前に新婚旅行で行ったハワイしか知らない
私には、どうしてもこの現実を受け入れることが出来ません。
(こんな所で移植手術なんて、本当に大丈夫かしら?)
ムシ暑くて薄暗かったマニラ国際空港到着直後から感じていた、何とも言えない不安感
が次第に強さを増してきますが、そんな私の気持ちにはお構いなしに、車はホテルへと進ん
で行きました。