腎臓移植

フィリピン腎移植
8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
  〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜

異国での透析
ここフィリピン腎センターでの透析は、毎朝7時に始まります。
私たちのマニラ到着が土曜日だったため、昨日の日曜日は協会の方の案内で市内 観光を楽しみ、今朝6時にホテルをチェックアウトして腎センターにやって来ました。
今日、車窓から見る風景は、きのう一日市内を見て回ったせいか、さほどの違和感 なく眺めることが出来て、到着直後の、この街に対する恐ろしさや不安感も、だんだん と薄れてきたのは不思議なものです。
それに、街中やホテルを問わず、日本人をとてもよく見かけることと、日本料理店の 数の多さには驚かされました。

フィリピン腎センターは、腎センターとは言っても、ベッド数10床程度のこぢんまりとした 施設でした。前もって連絡を受けていた主任看護婦のグレースが、笑顔で私たちを迎 えてくれると、他の看護婦やテクニシャンたちも、「グッドモーニング」と、さわやかな挨拶 を掛けてくれます。
壁のスケジュール表に従い、母とHさんの二人が使用するベッドまで案内してくれました が、指定されたベッドには、栗原理事長が前もって翻訳してくれた、母の過去の病歴 や、透析実施時の注意点が書かれた書類が既にファイルされて掛けられていました。

「これにサインして下さい」
協会から手渡された書類は、透析中の医療事故に対する病院側の免責書類でし たが、和訳された日本語訳を読んでいると、鷲のような精悍な顔をしたドクターがひとり 透析室に入ってきました。アラノ院長です。
院長は私たちの姿を認めると、ニコニコ笑って近づいて来て、握手の手を差し伸べて 下さいましたが、その物腰はとても柔らかく、高名な医師の態度ではありませんでした。

自己紹介が済むと院長は、母とHさんの病歴について幾つかTさんに質問された後、 我々にも、(安心しなさい)と言うような意味の言葉を笑顔とともに掛けてくださり、看 護婦の手によって母の腕に針が刺されました。

日本の透析病院では、患者本人以外は透析室までは入れないために、私は母が 透析を受けている姿そのものは、今までに一度も見たことがありません。
しかし、今日はじめて目にしたそれは、とても痛そうで、一瞬のこととは言え、好むと好ま ざるとに関わらず、一日おきにこんな太い針を腕に突き刺されて、嫌でも何でも4時間 以上もの間ベッドに縛り付けられていた回数は、既に400回を超えていたのかと思うと、 あらためて母が不憫に思えて目頭が熱くなってきます。

(一刻も早く、こんなことから開放してあげなければ)

今日ほど、この思いを強く感じたことはありません。
複雑に入り組んだ透明のチューブに母の血液が流れ始め、ダイアライザーと呼ばれるフィ ルターにそれが吸い込まれて透析が始まります。

Hさんの腕にも、ほぼ同時に針が刺されましたが、この人は本当にひょうきんな人で、 ベッドサイドに腰掛けた私たちに、休む間もなく冗談を飛ばして笑わせます。
それを協会のTさんが一々看護婦さんたちに通訳するものだから、透析室の中は笑いに 包まれ、病院とは思えない明るい雰囲気で満たされたものでした。

この雰囲気が功を奏したのかどうか、透析開始直後の母の血圧は、今日は150前後 と落ち着いており、3時間経過後も120を下回ることなく、本人に、「こんな楽な透析は 初めてよ」と言わせるほどで、日本での母の状態を知っているが故に、明るい雰囲気の 中にあっても緊張感が抜けなかった私たちを、ホッとさせてくれたものです。

事前に、『要注意患者』との連絡を受けていた看護婦たちスタッフも、 「マミー、よかったね」と、喜んでくれています。
話は前後しますが、この組織適合検査を終えて日本に帰国してからの透析では、また いつもの状態に戻ってしまい、苦しさのために何度母の口から「マニラの透析は楽だった」 と言う言葉を聞いたことかわかりませんが、いまもって、その楽だった原因は不明のまま です。

何事もなく無事に透析を終了した母とHさんは、このフィリピン腎センターが所属する メディカル・シティ総合病院にそのまま入院しました。

さて、HLA組織型検査を含め、全ての検査を済ませるまでの間に、母とHさんは腎セン ターで人工透析を3回受けましたが、この間に垣間見ることが出来た日比両国の透析 に対する考え方の違いを少し書いてみようと思います。

日本と決定的に異なる第一点は、フィリピンで透析を受けるには、医療費を全額自己 負担しなければならないという点です。
『腎センターと言っても、ベッド数は10床そこそこしかない』と前に書きましたが、その10 余りのベッドすら、私が母とともに訪れた三日間は、かなりの空きがありました。

センターの受付を見ているとわかりますが、透析を受けに来た患者は、まず受付にその日 の透析料を支払ってからベッドに上がります。
一回の費用は約4,000ペソ。当時の日本円で約2万8,000円。この国の平均的な 労働者の一ヶ月のサラリーが3,500ペソほどですから、たった一回の透析ですら、給料の 全てを注ぎ込んでも足りません。つまりこの国では、慢性腎不全イコール 『死』なのです。

たまたま私が見掛けた何人かのフィリピン人透析患者は、この費用を自費で支払えるだ けの資力を持つ数少ない恵まれた方々だったのでしょう。
ですが、恵まれている患者さんしか来ないにもかかわらず、腎センターの壁に掛かっている スケジュール表(向こう2週間に透析を受ける予定の患者名とベッド番号が記入されてい る)を見ても、日本人のように週に三回の透析を受けている患者は皆無であり、現地の 患者さんは全員が週に二回の透析でした。

いくらお金持ちとはいっても、一回に2万8,000円もの透析費用を一週間に2回、 一月に9回受けるとすると、毎月25万円以上の負担となり、そう長期間にわたっては 支払い続けられるものではありませんので、金の切れ目が命の切れ目とならないように、 ほとんどの患者さんが移植手術を希望しているようです。

また、現地の患者さんを更に良く見ていると、もう一つの意外な事実を発見しました。 ここの看護婦は、透析終了後も現地の患者さんが使用したダイアライザー(透析のフィル ター)を使い捨てにはせずに、名前を記入した後できれいに洗浄して保管し、次回の時に 再使用していました。
もちろん母は毎回新品のダイアライザーを使用しましたが、現地の患者さんには、数回使 用することによって、一回当りの自己負担金を出来るだけ節約するためにほかなりません。 アメリカに留学経験を持つ、アラノ院長の部下の ある医師の話でも、このようにダイアライ ザーを数回再使用することは、欧米でも珍しい事ではないと説明され、認識を新たにさせ られました。
つまりこの国では、経済的な側面から『移植の必要性』が生じていて、透析療法はあく まで移植までの『経過措置』と考えられていることが、体験として良く理解できました。

さて、グレース始め腎センターのスタッフたちの要望で、即席の『日本語口座』などを開い ているうちに、5日間の入院生活も終わりを告げましたが、この入院中に出会った沢山の 人々は、みな実に親切で思いやりのある人ばかりであり、到着直後に感じた悪いイメージ も、彼等のお陰でそのころにはすっかり消えうせていたように記憶します。

そして、嬉しい知らせがもたらされました。

退院の日、時間の都合で院長にはご挨拶できませんでしたが、明日の帰国に備えて ホテルで休んでいる私たちの部屋に、検査結果報告書が届けられたのです。
検査結果を基に、院長と打ち合わせをして来た T さんによれば、母のHLA組織型は 特殊なものではなく、フィリピン人にも多く存在する型であり、また赤血球もフィリピンでは、 日本と違って、母と同じO型がA型を抜いて一番多いということでした。
さらに現在の母の全身状態もそれなりに良好で、軽度の心臓肥大を除けば、移植手術に あたって特別な障害は見当たらず、現時点で移植手術の実施を妨げるものは何もない ということです。

実は内心、母も私も祈るような気持ちで、このHLAタイプの判明を待っていたのです。 と言うのも、日本出発前の協会の説明によれば、HLAの型によっては、移植手術の実現 が難しいと聞いていたからです。

事実、大阪の一号患者さんとほぼ同時期に組織適合検査を受けた別の患者さんは、 東洋人にしては珍しいDR型(HLAを更に細分化したD抗原)の持ち主であるがために、 誠にお気の毒なことに、検査後一年を経過しても、手術が実現していないそうです。
ですから、この第一関門を無事に突破した喜びは大変に大きなものでした。
(はるばる ここまで来た甲斐があった というのが偽らざる心境でした)
そして同時に同行のHさんのHLAタイプも判明。おめでたいことに、HさんのDR型も DR2で、フィリピンでは一番多いタイプであるとの説明に大喜びして、普段は飲まない ビールをコップに一杯だけ注ぐと、Tさんと祝杯を上げていたことを思い出します。

この項の終わりに、Hさんの変わった習慣を披露させていただくと、一般に透析患者は 夜、なかなか熟睡できないものですが、Hさんはそんな時、両足の膝から下を、足の指ま でそっくり調理用のアルミホイルでグルグル巻きにして、その上からパジャマのズボンを履き、 ズボンが捲れ上がらないようにと、多きめのハイソックスを更にズボンの上から履いて寝るそ うです。
「間違いなく寝られるよ」
と、Hさんは太鼓判を押していましたので、興味のある方は一度試してみてはいかがで しょうか。(この姿を見た時は、本当にビックリしました)

わずかな日数ではありましたが、旅行者とは違った目でフィリピンの実情に触れることがで き、心配していた透析時のトラブルもなく、予定していた諸検査も滞りなく全て済ませた 私たち母娘とHさん、そして協会の T さんは、実り多い収穫を手に11月26日早朝、 マニラ発のユナイテッド航空機で帰国の途に着きました。

《手術を受けるかどうかの態度表明は、組織適合検査の後に行なう》
これが当初の協会との合意でしたが、これは、帰国直後に正式な申し込み手続きに移行 したことは、言うまでもありません。

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