8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜
第二号患者Hさんのこと
この年の正月、誠に悲しむべき出来事によって、時代は昭和から平成へと変わり、
一つの時代に終止符が打たれました。国中に暗いムードが漂っていましたが、しかし
そんな雰囲気を吹き飛ばすかのように、全く予想もしていなかった朗報がHさんに突
然もたらされたのは、1月26日の深夜のことでした。
組織適合検査から帰国後、わずか二ヶ月余りで移植手術が実現したHさんは、
本当に幸運な方です。その朗報は正月もマニラで突発事態に備えていた栗原理事
長から、協会の東京事務所経由でもたらされました。
既にベッドで休んでいたHさんに、
「適合する組織を持つ脳死のドナーが現れたので、出発の準備をして欲しい」
という第一報が入ったのでした。
さあそれからが大変です。後日のHさんによれば、この第一報を知らされてから成田
空港へ到着するまでの間というものは、期待と不安が入り乱れて、仕事の段取りや日
本に残していく子供のことなどで混乱し、さらには手術中に最悪の事態を迎える可能
性もが脳裏を過ぎり、(人生で一番疲れた日)であったとの事でした。
結局Hさんはこのチャンスを生かし、手術数日後には早くも病院から我が家へ国際電
話を掛けてくれるほど、順調な回復だったようです。
ついこの間、一緒に検査に出掛けたHさんの手術の成功の報に触れて、我が家では
我ことのようにその成功を喜んだのですが、言い換えれば、母にもその日が何時訪れる
ともわからないという事であり、来る日に備えての資金手当が急がれました。
そのために父は、取引銀行であるM銀行に支店長を訪ねましたが、融資の相談が一
変して、現地病院や医師団の『信用照会』へと話しが大きく変化したのは、2月の中
ごろであったと記憶します。