8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜
現地医師団の信用照会 念には念を入れて・・・
「マニラで移植手術なんかして、本当に大丈夫なんですか?」
これが支店長の第一声でした。この銀行とは、もう20年もの取引があり、今の支店長
とも3年ほど親しくお付き合いさせていただいていましたので、母が透析患者であるとい
うことはご存知です。
「社長、フィリピンの医療レベルはどうなんでしょうか?。融資の話は別として、あのよう
な国の臓器移植の水準が高いとは思えないし、万一の事があったら大変なことになりま
すよ」
《移植にかけてはアジア有数の名医》とは言っても、父のその知識は、私や協会から得
た間接情報でしかないため、他人に対する説得力はありません。
「私の大学時代の友人が商社マンでしてね、偶々去年あたりからマニラ支店に勤務し
ているんですよ。私自身はフィリピンという所は良くは知りませんが、彼の話によれば、あら
ゆる意味で日本とは大違いで、まぁ外国はどこでもそうなんでしょうけど、大変な所らしい
じゃないですか。どうでしょう社長、おせっかいなようですけど、一度私のマニラの友人に病
院や医者の評判を調べてもらったら・・・。こういう話ですから、念には念を入れて調査して
からお決めになっても、遅くはないと思いますが」
このようにして信用照会の話が持ち上がり、アラノ院長を始め、執刀医のオナー博士や
協会と提携関係にあるとされる医師団と医療機関の信用照会が、支店長の友人のW
さんによって開始されましたが、母と私は、現地の事情を直接この目で見て来た立場か
ら、この調査は余り意味を持たないものであると、変に冷静な目で調査の推移を見守っ
ていたことを思い出します。
それから二週間が過ぎ、信用照会の結果が、マニラ在住の支店長の友人からFAXで
もたらされました。
会社の顧問弁護士の協力も仰いだというWさんの報告は、長文にわたっていましたが、
要約は以下の通りです。
「貴殿お問合せの、当地の腎移植事情、および医療機関、ならびに医師団に関してご報告いたします」
という見出しから始まった報告書によると、お問合せの通り、Dr. Filoteo A. Alano は、フィリピン腎センター (Kidney Center of the
Philippines ) の院長であるだけではなく、同国国立腎臓研究所 (National Kidney
Insutitute ) の所長職も兼務しており、また、フィリピン腎内科学会の理事長も勤めている
当地の医学会に強大な影響力を有する医師の一人である。
当地では1988年までに、約600例の移植実績があるが、このうち、かなりの割合が、
同院長と、後述する副院長のコンビネーションによって執り行なわれたもので、現在のところ
腎臓内科医として同院長の右に出る者は当地には存在せず、毎年世界各地で開催さ
れる世界移植学会には、フィリピンを代表して出席している。
一方、副院長の Dr. Enrique T. Ona は外科医であるが、その専門は移植外科で、既に
約400例の手術実績を持つ。同医師の経歴を併記すると、
1939年6月4日生。フィリピン大学医学部卒業後、ニューヨーク バッファロー総合病院を
振り出しに、ロングアイランド病院、セント・クレーア病院等、米国各地の病院で7年間外科
一般を習得。その後1973年より、英国ケンブリッジ大学のアデンブロック病院で、臓器移植
の世界的権威者である、R. Y. カーン教授の愛弟子として移植外科を専門に研究。
現在、比国国立腎臓研究所副所長兼、同国腎センター副院長。
他に、マカティ・メディカル・センター、カーディナル・サントス病院、国立心臓センター等の
医療機関のコンサルタントも引き受けており、アラノ医師が移植内科の第一人者であるのに
対し、オナー医師は移植外科の巨人とも言うべき存在である。
近年、この両医師のチームによって、アジアで始めての腎臓と膵臓の同時移植が行なわれ
たことは、世界の移植関係者の知るところである。またオナー医師は、米国マサチューセッツ
州政府発行の医師免許も取得している。
次に当地マニラの、全体としての医療事情でありますが、その技術的レベルは、医師や
病院によって非常に大きな格差が存在するものの、いくつかの、いわゆる高級病院に限って
言えば、日本のそれと比べて大きな技術的差異はないようです。
ご存知の通り当地には、自動車、電機等のメーカーを始め、数多くの商社も日本から
進出しており、私も含めて日本人駐在員の健康診断は、これらの高級病院で行なわれ
ておりますが、医師の技術レベルに不安を感じたことはありません。
しかし、治療内容や病院のシステムは、日本のそれと大きく懸け離れていて、日本の常識
や習慣は通用しないので、この点は特段の注意が必要と考えます。
Wさんの報告書はこのように綴られ、最後に、
「当地のテレビ局は、腎提供を呼びかける啓蒙メッセージフィルムを毎日流しており、
提供者確保には少なからず寄与している模様です。貴殿のお知り合いが来比されるので
あれば、私の赴任中は最大限のお世話は厭いません」
との暖かい言葉で結ばれていました。
この調査結果報告書に書かれた内容は、現地を知らない夫や父の目を完全に覚まさせ、
納得させてくれた事は勿論のこと、(当然の結果)しか期待していなかった、母と私までをも
あらためて驚かせたものでした。
数多い移植医の中にあって、これからケアを受けようとする両医師の、輝かしいばかりの
経歴と実績が、何ら利害関係のない第三者の手によって明らかにされた事は、最後まで
消し去ることの出来なかった、私たち家族の僅かな不安を吹き飛ばしてくれただけに留まら
ず、誇りさえも与えてくれることとなったのでした。
後に、この信用照会の件を協会の方にお話しましたところ、「世界はずいぶんと狭くなった
ものですね・・・」と驚いていましたが、(今だから言えますが)内心では、気分を害されていた
かも知れません。
この信用照会の結果により、マニラで移植を受けることに対しての、透析病院の主治医の
了解と、移植後、予後管理を診てもらう専門医を確保するための努力がなされました。
透析医の了解を取り付けるには、それはそれは大変なやり取りがあった事は事実です。
そのやり取りについて敢えて触れませんが、結局、大激論の末に『一念岩をも通す』の例え
どおり、私たち家族の情熱と、透析医療の限界を自ら認めて下さり、最終的には協力を
いただける事となりました。
また、協会から紹介された予後を診ていただく専門医は、母の事情や立場をとても良く理解
して下さり、「帰ってきたら、私が責任を持って診てあげる」と約束してくれました。
このように万全の受け入れ態勢が確立され、銀行からは、いざという時の融資の承諾も
得ることが出来ましたが、桜咲く春4月が過ぎて、5月の声を聞いても、母の手術の決定を
伝える知らせは届きません。代わりに、『第三号患者の移植手術無事終了』と知らされる
に至っては、焦りだけが募り、以前にも増して衰弱の度を深める母を見るにつけ、残された
時間は、もう余りないように思えて仕方がありませんでした。
胆道閉鎖症の子供を抱え、オーストラリア等での移植手術に望みを掛けて、いつ発生
するともわからないドナーの出現に備えるため、現地で何ヶ月もの間待ち続け、不自由な
生活を強いられている、何組かのご家族の気持ちは、痛いほど理解できました。
「透析も辛くないし、いっそのことマニラで待機していようか」
待つことの辛さに耐えかねて、こんなことも家中で真剣に話し合われました。
しかし協会に相談すると、「患者さんに余計な負担を掛けるだけだから、もう少し辛抱して
欲しい」と説得され、逆に、
「現地で待ち続ける覚悟があるならば、その滞在費等の費用を、第三号患者さんと同様
に、提供者側の検査費用として、現地の基金に積み増ししてはどうか」
とのアドバイスを受けたのでした。