8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜
提供者あっての臓器移植 ドナー側の検査費用をめぐって―
母とHさんが組織適合検査の段階で現地医療機関に支払った費用のうち、
約3,000ドル相当は、ドナー側の検査費用として、現地の『腎移植基金』に積み立て
られました。このお金は言うまでもなく、腎提供の意思を持つドナー候補者が現れた際に、
その候補者のHLA検査を含む諸検査に要する費用として用いられますが、3,000ドル
という金額は、約10人分の検査費用でしかありませんでした。
ドナー候補者は、いつ何時あらわれるか分からず、特に事故等で担ぎこまれて来るよう
な脳死状態のドナー候補者の場合は、一刻を争って検査にとりかかる必要があります。
このようなケースの場合、我が国では誰がその検査費用を負担するのか分かりませんが、
少なくともフィリピンでは、あくまで『受益者負担の原則』にならうようです。
しかし受益者負担とは言っても、検査結果が判明するまでは、いったいどの患者に組織
が適合するか分からないですし、検査してみた結果、ドナーが感染症にかかっていた事が
初めて判明したような場合は、どの患者にも合わない事になりますので、最終的に誰に
費用負担を求めるのかということは、非常に複雑な話になります。
従ってフィリピンでは一部の例を除いて、移植待ちの患者が、それぞれの経済力に応じた
資金を皆で拠出し合って基金を作り、ドナーの検査費用に充当しているそうですが、
一検査あたり約4万円近い費用が掛かるために、この基金は慢性的な赤字に苦しんで
いるようです。
手術後、順調に回復された第三号患者さんが帰国されたので、この方の場合はどうだった
のかと思い、早速お尋ねしてみました。
「ワシは、よう待ちきれなんだから、自分から追加の検査費用を出したんや。腎提供の申し
出があるのに、タイミングを逃したらもったいない思うてな。結果としてワシが出した資金で、
自分以外に他の3人のフィリピン人患者に適合するドナーが見つかった言うて、ドクターたち
や協会さんから、えらい感謝されたんや。お陰でこんなに素晴らしい物をもろうたんやから、
あの金は『税金』と思うとるよ。こない言うたらなんやけど、ワシ等は外国人やさかい、貧しい
現地のために、少しは貢献してもいいんちゃうかなぁ」
このように説明を受けたものの、《資金負担をしたとしても、適合する提供者が現れるかど
うか保証はない》という性格の資金であるという事に、その決断を下すまでには種々の迷い
があり、支出の前提に立った場合の結果の良し悪しについて、協会サイドと相談している
うちに、その事件は起こったのです。
「ご家族の方、どなたか大至急こちらにお越し下さい」
母が通う透析病院からの突然の電話に、取るものも取り敢えず掛け付けた兄嫁と私が目
にしたものは、処置室の中で昏睡している全く血の気の無い母の姿でした。
周りでは先生や看護婦さんが、大慌てで注射を打ったりマッサージしたりして騒然としている
最中で、そのとき聞くと、血圧の上が60台で、下は測定不能と言われ、あの時だけは
「もうダメだ」と、覚悟させられたものでした。
一時間位はかかったであろう懸命の救命措置の結果、幸にも一命は取り止めたものの、
意識が回復した母に聞くと、
「透析中にいつものように気分が悪くなって来たけど、今日は看護婦さんを呼ぶ暇もないま
まに、急激に目の前が真っ暗になって意識が無くなっちゃった」
と言っていましたが、同じ病院で、もう10年以上も透析を受けている仲間の患者さんは、
過去、何度も見ていたのでした。今日の母と同じように、透析中に処置室へ運ばれて行った
患者さんが、その後に時をおかずに亡くなるのを。
ですから、今日、その瞬間も、「これでMさんともお別れだと思った」と、その瞬間の状況を
話してくれました。
最悪の結果は免れた母でしたが、その晩は入院を命じられ、父が掛け付けて来ると、
「お父さんごめんなさい。もうこれ以上みんなに迷惑は掛けられません。私なんか死んでしま
えば良かったんだ。もう移植も諦めます・・・。」
と、涙ながらに言い出すほど弱気になっていましたが、
「バカヤロー、お前は自分の事だけを心配していろ! お前の身体は何としてもオレが元通り
に治してやる」
昔から口は悪いものの、素晴らしき夫である父の愛情に支えられ、何本もの点滴のチューブ
に取り巻かれながらも、夢の中へと入ることが出来たその夜の母でした。
この日、この妻の状態を目の前にして、大きな決断が父によって下されました。
もはや一刻の猶予も与えられない。チャンスを最大限に生かすべく、可能性に賭けてみようと。
翌朝、この決断を協会サイドに伝え、積極的な行動が開始されました。
そして翌月、長かった梅雨も終わりを告げる頃、待ちに待った、本当に長い間待ち焦がれて
いた吉報が届けられました。
父の決断は間違ってはいなかったのです。