腎臓移植

フィリピン腎移植
8. 母を救った腎臓移植(MKさんの投稿体験手記)
  〜患者の家族の目から見た海外での腎移植〜

再びフィリピンへ 移植手術の実現
私たちの二度目の訪問を、現地のスタッフは暖かく迎えてくれました。
約二週間先に予定されている移植手術までの間、何回か透析を受けた母でしたが、 《死ぬまで永遠に続く透析》から、《経過措置としての透析》へと変わり、残り回数が 指折り数えられるため、透析中の表情も暗くはありません。
人間にとって目標があるということは、大変に大きな心理的効果をもたらします。

透析のない日は、血液検査や超音波検査などが行なわれ、手術予定日の3日 前を迎えて、いよいよ免疫抑制剤の服用指示がアラノ院長によって出されました。 と同時にこの日からは、『プライベート・ナース』と呼ばれる、臓器移植の高等教育を 受けた専門の看護婦さんが、8時間づつ3交代で、一日24時間ぴったりと病室に 張り付いたのには驚かされました。

予定されていた検査も全て終了した8月某日、手術を明日に控えて、最後の透析 が施されました。
終了後、ナースの手によって針が母の腕から抜かれると、期せずして透析室の中は 皆の拍手に包まれたのです。

「ノーモア ヒモダイアリシス」 (もう透析の[必用は]ない)

看護婦やテクニシャンが、次々と握手を求めて母のベッドにやって来ます。
ドクターも微笑んでいます。栗原理事長も T さんも、立ち上がって頷いています。
そうです、この瞬間、通算550回を越える人工透析と決別したのです。
三年半もの間、母の自由を奪っていた左腕のコブを眺めつつ、とめどなく溢れるものは、 感謝と希望が入り交じった熱い涙でした。

フィリピンの朝は早く、手術当日の今日も早朝5時半ごろからドクターやナースが入れ 替わり立ち替わりに病室を訪れて、次々と準備が整えられました。
手術着に着替えた母に、注射やエネマが施され、はや6時半ごろには手術室の人と なりました。

「お母さん、明日の手術、怖くない?」
昨晩、なかなか寝付けなかった私は、てっきり母も同じだと思って声を掛けてしまいました が、既に半分寝入っていた母は、
「Kちゃん、何てこと言うの、ガンの手術じゃないのよ。身体の中に悪いものがあって、 それをきれいに取り切らなきゃいけないんだったら、お母さんも心配で怖いわ。
だけど明日は、素晴らしいものを戴いて、この身体の中に入れていただく手術よ。
提供してくださる方のほうが、どれだけ不安な思いをしているか・・・。
怖いなんて言ったら、バチが当たるわ」

昨夜の会話の通り、元気に手術に臨んだ母と再び対面したのは、6時間後のICUの 中でした。
私は生まれてこの方、たった数時間で人間の様子が、これほど大きく変化したのを見た ことがありません。

早朝から手術の行方を見守っていた栗原理事長が、
「お母さんが、いまICUに入られましたよ」と知らせて下さり、私を案内してくれました。
恐る恐る覗き込んだ母の顔からは、あの土気色が見事に消え、頬は紅色に染まってい るではありませんか!
両手の10本の指先も掌もピンク色を呈して、まるで赤ちゃんの肌のようです。
身体には、様々なモニター装置のセンサーと、何本かの点滴のチューブが繋がっているか ら『手術後』ということが分かりますが、これさえ無ければ、健康な人間が安らかに眠って いるようです。

専属のナースに栗原理事長が聞いてくれたところでは、血圧・心拍・排尿量ともに問題 はないとのこと。感極まった私は栗原さんの手をとって、「ありがとうございます」と深々と 頭を下げましたが、「安心するのはまだ早すぎます。まだ手術が終わっただけ、これからが 正念場ですよ。その感謝の言葉は我々にではなく、提供してくださった方にドクターから 伝えてもらいましょう」と、おっしゃっていました。

(拒絶反応が起こりませんように)
ただこの事だけを考えてICUを後にした私でした。病室に取って返した栗原さんが掛けて くれた国際電話は、東京の父に第一報を知らせることとなりましたが、私に電話を代わる と、父も私も声にはならず、ただ頷き合うだけでした。

一般に外科手術というものは、その成否と効果の程が直ちに表れるものですが、特に 腎移植のそれは、魔法以外のなにものでもないーと言うのが私の受けた印象でした。
くどいようですが、母の皮膚の色は、けさ手術室に入る前と、僅か数時間後の今とでは 別人のような変化を遂げています。私は今後二度とは腎移植直後の患者を見る機会 は無いと思いますが、この劇的な変化を決して忘れることはないでしょう。

カテーテルを伝って、絶えず尿が採尿袋に導かれています。ナースが作成している、 点滴液の注入量と排尿量は、ほぼぴったりと一致していて、戴いた宝物がきちんと働いて くれている様子をはっきりと物語っていました。

午後3時ごろになって、ようやく麻酔から覚めた母の第一声は、
「もう手術、終わったの? 何だか身体が軽いわ」
であり、苦痛を訴えるものではなかったことに、改めて安心させられた次第です。

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